芸能なう

芸能ニュースのなうをお届けします

間寛平さんがマラソン引退を表明しました。最後に東北の被災地
を走るみちのくマラソンでマラソンに幕を閉じます。
1986年からマラソンをしだして26年になりますが、よく
走ってみんなに楽しく話題を提供してくれました。
が体が限界らしいです。

詳細は・・・ブログランキング

過酷な「アースマラソン」など、ランナーとしても超人的に活躍してきたタレントの間寛平(63)が20日、マラソン引退を明らかにした。この日、岩手・宮古市で発表された東日本大震災の被災地を9日間かけ、440キロメートルを走る「みちのくマラソン」(8月13~21日)の取材会で「もう体が限界。地球2周は走った。被災者を元気づけ、有終の美を飾りたい」と心境を語った。

 マラソン引退宣言は取材会の最後で唐突に飛び出した。この日はくしくも寛平の63歳の誕生日だった。「これが最後になります。今後、数キロ走ることあってもフルマラソンも走ることはありません」

 寛平の体は約2年がかりで2011年1月に終えた「アースマラソン」で心身の極限を超えていた。「あれで足も筋肉もボロボロになってしもうてね。体がめちゃめちゃ痛いんですわ。3か月くらい走る気力もなくなって。体が動かん。なかなか元に戻らんのですわ」。出てくる言葉が、完走の壮絶さと代償の大きさを物語る。

 実際のところ5~10キロ走るのも困難な状況にありながら「みちのくマラソン」を志願し、1年がかりで吉本興業を説得したという。「自分も阪神大震災で宝塚の自宅が全壊して参った。でも、今みんな、自分のあの時より、もっとつらい思いをしてる。アースマラソンでは日本も走ったが、東北を走ってなかったのが気になってね」

 8月13日から9日間かけて岩手、宮城、福島の3県を1日約50キロ、計440キロを走る。寛平は10年に発見された前立腺がんとも闘っている。「3か月ごとに検査を受けてますが、いまは数値が落ち着いている」と幸いドクターストップはかかっていない。

 いまも疲労感が抜けない体調を語るときの悲壮な顔と、最後のマラソンについて話すときの寛平の表情は対照的だ。足に激痛を抱えながらマラソンの距離を50キロにした理由を、「アースマラソンでそのくらい走ってたからね。30キロにしたら甘えているということ。やる限りは自分と追い込まんとね」

 ラストランでは避難所をいくつもまわって被災者を励まし、夏休みの子供たちともふれあう。「少しでも元気になって笑顔になってほしい。僕が逆に元気づけられるのかも。でも必ず、最後にふさわしい走りをしますよ」。決意を語るその表情は、修行僧のようだった。               YAHOOニュースより引用

みちのく復興マラソンでも1日50キロを9日間走るそうですが、心配
です。周りが心配してても寛平さんのことだから絶対やめないで
しょうし、又どんなに辛くても走りきってしまうと思います。
命かけているって感じですね。
以前、なぜ走るのかをインタビューされていた時に、目立ちたがり屋
だからと言っていました。
前立腺がんとも戦っているので無理をしないでもらいたいです。

コメントを残す

トラックバックURL

ページ上部に